歴史・文化

加美町の景観

 加美町は、宮城県の北西部に位置しています。西には山形県尾花沢市と最上町、北は大崎市鳴子、東は大崎県域の中心である大崎市古川、南は加美郡色麻町に接しています。西部は奥羽山脈に隔てられ、頭部は平坦地が開けています。県内でも有数の面積を有し、森林が74%、農用地が14%を占め、町内は緑があふれる景観となっています。町には「加美富士」ともよばれ多くの人々から親しまれている秀峰「薬莱山」がそびえています。中新田の中心部には、奥羽山脈より発する一級河川鳴瀬川と田川が合流し、日本有数の穀倉である大崎耕土を潤しています。

 土地利用を見ると、山岳地帯は奥羽山脈の一部として森林に、丘陵地帯の多くは畑地、草地に利用されていますが、薬莱山の周辺部では観光・リゾートの整備も行っています。平坦地は町中心部に市街地が形成されており、周辺は水田に利用されています。

加美町の歴史

 加美町の歴史は、旧石器時代の遺物が発見されるとともに、縄文時代の遺跡が数多く存在しており、先史の時代から豊かな縄文文化が花開いていました。8世紀頃、この地域は、陸奥の国府多賀城より出羽国府ないし秋田城に行く要衝の地にあったため、兵士や人馬の往来が激しく大変な賑わいを呈していたものと思われます。中世を迎え、この地域は大崎氏の支配を受けることになり、旧中新田町は大崎市が最後の拠点を気づいた場所でもありました。戦乱の時代を経て伊達家の藩政下に入りました。伊達家は、領内の支配体制を確立するため田畑の総検地を行い、この検地によって3町の旧村の原型が確立しました。

 中世紀以降も、南北の羽後街道(現国道457号線)、東西の中羽前街道(現国道347号線)の交わる旧中新田町は交通の要衝であり、また有数の穀倉地帯であったため、江戸への水運拠点として繁栄していました。人や物資に集まるという宿場町・商業街としての特性に加え、前述した米所であったところ酒造が盛んな地域であり、今なお残っている立派な酒蔵から当時の名残を伺い知ることができます。他にも奈良・平安時代の役所跡とされる「城生柵跡」「東山官衙遺跡」、江戸時代の侍屋敷「松本家住宅」は国指定の文化財となっているなど多くの史跡が遺されています。また江戸時代中期~後期には、宮崎切込地区の「切込焼」が伊達藩の御用窯として繁栄し、隆盛を極めました。

 加美町は鳴瀬川や奥羽山脈など豊かな自然に囲まれていますが、それらが人々の驚異になることもありました。鳴瀬川は歴史的に何度も反乱を起こしており、治水・堤防に関する史実も多くあります。また奥羽山脈からの強風が吹き付ける地域でもあり、中世から現在に至るまで数回の大火に見舞われ、こうした災害からの復興が、伝統行事でもある中新田の初午まつり「火伏せの虎舞」の起源になりました。
 加美町の沿革としては、明治に入り、政府が中央集権国家の基礎を確立すると、明治22年には、戸籍や小学校などの事務を円滑に行うことを目的に、全国一律に行った「明治の大合併」により、27村から1町5村(中新田町・鳴瀬村・広原村・小野田村・宮崎村・賀美石村)に統合されました。昭和29年には、新制中学が合理的に運営できる人口規模という点を念頭にした「昭和の大合併」により、中新田町、広原村、鳴瀬村が中新田町に、宮崎村、賀美石村が宮崎町になり、昭和18年に町政を施行した小野田町を含め、3町を構成してきました。そして、平成15年4月1日に、中新田町、小野田町、宮崎町が合併し『加美町』となりました。

東山官衙遺跡

城生柵跡

松本家住宅

加美町の文化

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